平成最後のWBS 2019/4/29(月)

10連休も深夜に動く。
眠らない新幹線車両基地。

深夜に動く!ケーザイ現場⑥

JR東京駅から10㎞ほどの大井車両基地
1日の運転を終えた新幹線は翌朝までの間に点検をする。
先頭車両は複雑な形なので手作業で洗っている。
車両の側面については出すときに洗車機で洗浄している。

東海道新幹線は今日は110本を臨時で増便、合計397本。
4月26日~11日間で、1日平均403本を運行予定。
ゴールデンウィークでは過去最多。

新幹線の車体の下の部分の台車部分を点検。ディスクや潤滑油、ダンパーなど。
点検している人がマイクを付けていて、タブレット端末に音声で入力している。従来は紙で対応していたが4月から導入した。
台車は1車両に2台ついているので、16車両あり32台、全長は400mもある。

運行中の新幹線も遠隔検査。

運行中の新幹線から空調などのデータを遠隔で取得。常にチェックしている。
日々データが確認できるので、タイムリーに修繕できる。
目視だけでなくデータでいち早くチェックしている。

定期的に大掛かりな検査も
車体と台車を分離して徹底的にチェック。
先頭車両は表面を磨き再塗装。
作業の一部にはロボットが導入され効率化を進めている。

世界一正確な新幹線を支える技術

屋根の上を歩いて、パンタグラフの点検をしている。
架線と擦れる部分が摩耗するので、1割程度のパンタグラフを交換する。

過去最大級の豪華客船。
初航海先に東京を選んだ理由は

今年3月にイタリアで完成したばかりのコスタベネチア
53日の長期クルーズを終え日本に到着。
全長323メートル、客室2116室
東京港入港のクルーズ船として過去最大級

船内は水の都ベネチアをイメージ
メインロビーはサンマルコ広場が再現。

船の中心にあるホールは軽食を楽しみながらプールを楽しめる。
全天候型の天窓で、天気のいい日はオープンな空間が楽しめる。
本格的なスライダーに、ミニゴルフなどのアスレチックも完備。

歩いていて気付くのは英語表記の横に中国語表記。
メインターゲットは中国市場。
海の上では最大の化粧品売り場など、中国人向けに免税品コーナーを充実させたほかに、麻雀サロンも。

中国をターゲットにした船だが初航海の終着地は東京を選んだ。
その理由は東京オリンピックでの大きな仕掛けは計画中。本社と前に動いていると、コスタグループアジアのマリオ・ザネッティ社長。
来年の東京オリンピックを視野に入れているという。

国交省湾岸局担当の浅野さんはクルーズ船のホテルシップを計画しているという。動く4000人のホテルがここに現れることになる。

最大級豪華クルーズ船。
ねらいはアジアの富裕層。

滝田さん
運営会社はイタリアのコスタグループという会社
1860年創業と相当な歴史がある。

欧米6か国歴訪の成果は

ヨーロッパやアメリカなど6か国を訪問していた安倍総理は29日、日本に帰国。
今回の訪問では大阪でのG20(20の国と地域の首脳会合)に向けた協力とりつけ。
日米首脳会談では、トランプ大統領はカメラの前で日米貿易交渉は5月合意の可能性に言及したが、安倍総理が説得し、5月合意にこだわらない考えを引き出したという。

スペインで極右政党が躍進

28日投開票されたスペインの総選挙で、不法移民への厳格な対応を訴える新興の極右政党が躍進し24議席を得る見通しに。
与党の穏健左派社会労働党は123議席で第一党になったが、過半数に届かず政権維持のため他党との協力を模索する。

卓球協会、誤審と抗議

卓球の世界選手権女子ダブルスの決勝で誤審があったとして、日本卓球協会は国際卓球連盟に抗議文書を送るとともにビデオ判定の導入を求めた。
第5ゲームで早田選手のサーブを審判がネットに触れたと判断し、プレーがやり直しになり、猛抗議したが判定は覆らず日本はこのゲームを落とした。

昭和・平成・令和と、ユーミンと。
なぜ時代の先を読めたのか?

ユーミンがWBSにスタジオ出演、名曲とともに昭和・平成を振り返る。
46年間で発売したアルバムは38枚。47年目。
1970年代~2010年代でオリコンのアルバムランキングですべてでTOPになっているのは全アーティストでただ一人。

デビューは1972年。18歳。田中角栄さんが総理になった年。
当時、歌の世界は歌謡曲や演歌、フォークソングの時代だけれどもユーミンの曲はどれにも当てはまらなかった。

ユーミン「カウンターカルチャーという感じで出てきたと思う。」

滝田さん:当時ニューミュージックなんて言われていた。

ユーミン「四畳半ソングは自分が言い出した。自分のは有閑階級サウンドだと生意気言っていた。」

 ひこうき雲(73年) 2013年の映画「風立ちぬ」の主題歌
 やさしさに包まれたなら(74年) 1989年の映画「魔女の宅急便」の挿入歌
 ルージュの伝言(75年) 1989年の映画「魔女の宅急便」の挿入歌

これだけの名曲を二十歳前後で生み出していたということ。

ユーミン「ファーストアルバムのものは15,6歳から作り出したもの。18歳の時にアルバムを出すことになり、シンガーソングライターとしてスタートした」

1976年に松任谷正隆氏と結婚し、松任谷由実になる。

中央フリーウェイ(76年)は正隆氏が中央自動車道で自宅まで送り届ける実体験がもとになっている少ない歌。

1980年は時代を先どりしていることがわかる。

 SURF&SNOW サーフ天国、スキー天国(80年)

ユーミン「日本に雪のリゾートのポップスがなかったから、雪の歌中心のリゾートアルバム」

「わたしをスキーに連れてって」が87年なので、ずいぶんと前にスキーをテーマにしている。
この映画からスキーブームが始まったといわれている。

 恋人がサンタクロース(80年)

1982年上越新幹線開通し、週末にはスキー板を持った若者たちの姿。
1993年のスキー人口は1770万人。現在は約5分の1に。

滝田さん:先にコンセプトがあって現実が追い付いてきたのが面白い。

ユーミン「作るときにこういうものが作りたいというところに入り込んでいる。それに感銘してくれた人が自分の作品に反映してマーケットができる。振り返るとそれがマーケットになっていることはよくある。パーソナルに掘り下げていくと、たくさんのもの人に通じるものができるのかなというのが私の経験、街のバイブレーションは感じていたい。次に来るのはビーツ。」

滝田さん:1980年代後半から90年代、いわゆるバブルの時代をどう受け止めていたか?

ユーミン「80年代前半はそういう遊びはよくしていた。踊りにも行っていた。バブルになったころは楽しませる側に回った。こんなことが長くは続かないという目で見ていた。今ないものを求めているのでみんながやりだすとつまらない。」

 天国のドア 日本初のアルバム200万枚を突破
 真夏の夜の夢(93年)
 Hello,my friend(94年)
 春よ来い(94年)

シングル3枚が連続で100万枚を突破。

1997年山一證券、拓殖銀行など金融危機で日本はどん底に。

ユーミン「このあたりからCDの売り上げがガクンと落ちた。バブルの時に都市銀行が破綻したら自分の音楽も終わると予言していた。最初に影響を受けるのも自分。ライブは大事だと思っていた。」

CDなどの音楽ソフトは売れなくなっていくと予見していた。

 人魚になりたい
 無限の中の一度
 SWEET DREAMS

そこでコンサートに力を入れ始めて、シャングリラは総合エンターテイメントとして客を魅了していった。
シャングリラはこれまでのコンサートの概念を変えたといわれている。

滝田さん:モノ型の消費からコトを楽しむ消費に変わっていく。
ユーミン「おっしゃる通りモノから精神的なコトに意識的にシフトした。」

 宇宙図書館

2016年からの宇宙図書館は自己最多の80公演を実施。
SURF&SNOW in 苗場のコンサートは1981年から毎年行い、2020年には40回を迎える。
現在行われているタイムマシンツアーは全国40か所で開かれ、どの会場も満席でチケットも入手困難に。

なぜ10代の心を揺さぶるのか?

18年45周年記念で「ユーミンからの恋のうた」というベストアルバムを発売。
この中でメッセージ“私”で生きていくこと。という言葉が一人の少女の心に深く刻んだ。

幼いころからユーミンファンの野口さん。
今どきの中学生もユーミンの大ファン。
アルバムの冊子にあった言葉が自身に影響し作文にした。
この作文は日本語大賞の最優秀賞に選ばれた。

ユーミン「いつも中二病の自分がいて、14歳を飼っている。いろいろなキャラクターを楽しんでいる。その視線で歌を作っている気がする。日本語を大切にしたい。」

日本語を守るのがユーミンの使命

歌が中学2年生の国語の教科書に載っている(2002年度版光村図書)「春よ、来い」
ユーミン「国語の先生を同志として勇気づけたい」

令和を時代の預言者が予測。
「心の時代に」

ユーミン「貨幣価値ではなく精神価値を高めることが大事だと思う。もっと顕在化する。自分のやりたいことを忠実に。それをできるだけ多くの人に理解してもらえる努力をしていれば、結果引っ張っていることになるのかなと。」

30日は特別番組のため、WBSはお休み。平成最後のWBS。